徘徊

 夜遅く、あるいは朝早く。
「またこの時間かあ。お姉ちゃん、たまにはお日様も浴びたいなあ」
「でも、空気は綺麗だよ」
「確かに」
 ボクはイマジナリー・お姉ちゃんと近所を歩いていた。
「それに、文明と人々が小さい箱に押し込められている今この時こそ、世界と焦点をあわせることができる唯一の瞬間だって思わない?」
 誰もみていないのをいいことに、腕を広げ雄弁に述べてみる。
「自分から孤独を選んでいるってこと?」
「手厳しい」
 両手をポケットに格納。
「一人のほうが動きやすいのは、誰だってそうだろう。特に散歩なんて、目的をもってするものでもないし尚更だ」
 散歩は、純粋に好きだからやっていることなのだ。
 純粋に好きなことは、他人をはじめとした外的要因で好きを正当化する必要はない。
 ボク達が歩いているのは小高い丘に広がる閑静な住宅街だった。丘だけあって、なだらかな曲線を描く坂道や階段が不規則に組み上げられており退屈しない。道路の絶対数が多いので、もう両手では数え切れないほど散歩を行っている今でも新しい道を見つけることができる。自分の方向感覚が特別に劣っているとは思っていないが、散歩の度に迷子になってしまうほどである。
「そうね。馴れ合う時はとことん馴れ合っているもの」
「いや。普通の交友にまでそう言われると流石に辛いのですが」
「意地悪だったね。ごめん」
 ちっとも反省していなそうな、実にさらっとした口調だった。
「……お姉ちゃん、機嫌悪い?」
「言ったじゃない。たまにはお日様も浴びたいなあって。キミ、日中外を歩く時はいつも大音量で音楽を流して、私すら拒絶するんだもん」
「日中は散歩に適さない。人間がたくさんいる」
「私を拒絶する理由にはならなくない? そもそも人間だって、世界の構成要素だと思わないの? 道路だって、キミの好きな階段だって、立派な人工物じゃない」
「わかってるよ。自分言ってることが詭弁だと言うことくらい。でも、道路や階段には意図はあっても意志はない。一方的に妄想をぶつけることができるんだ。視界に入った人間の性別、容姿、歩幅、仕草、視線、服装、所有物は妄想の制限にしかならないんだ。そしてお姉ちゃんは……ボクの妄想だ」
「……めんどくさ」
 以降、ボクとお姉ちゃんは言葉を交わすこと無く歩いた。今日も新しい道を見つけることは出来たが、その道は既に知っている道と繋がっていた。こうしてまた、制限が広がっていく。いずれ散歩すら、自傷行為になってしまうのだろうか。
 散歩の終着点は24時間営業のスーパーだ。ここからはもう知っている道しかない。夜食か朝食、いずれにせよ今日を生きるための何かを買って帰るのだ。
「あ、新しいお弁当があるよ!」
 お姉ちゃんは、大量に積まれた安物の弁当に興奮したのか、声をあげた。空気が変わるきっかけなんてそんなものだ。
「『チキン南蛮弁当 350円』か。ちょっと重そうだけど、今日はこれにしようか」
「せっかくだし惣菜も買っていこうよ!ほら、この筑前煮とか美味しそうじゃない?」
「おつまみ系は必然的にストロングゼロが付属されちゃうから経済的とはいえないな」
「いつも衝動的にピザを注文しちゃうキミがそれをいう?」
「ほらあの、半額ピザは福祉だから。善意は受け取らないと」
 結局、チキン南蛮弁当やおつまみと酒を適当に詰め込んだカゴを持ちながらレジに並ぶ。今日の衝動性はお姉ちゃんが原因なのでボクは悪くない。
 ボクが散歩に出るような時間にもスーパーには人はいた。虚ろな目をしながら商品を陳列している青年はもちろん、自己満足のランニングを終えて酒を買っている若者から普通に家庭を持っていそうな年配の男性まで様々で、臆病な自尊心をもって拒絶しなければ一体感をもってしまいそうだった。
「……急に寒くなってきた」
 買い物を終え自宅に帰る途中、お姉ちゃんが手に息を吹きかけながら呟いた。
「社会が動き出したっぽいね」
「キミの冷めっぷりが原因な気がしてきたよ」
 ぷりぷりと怒るお姉ちゃんはやっぱり可愛くて、ボクの妄想だった。日の出の時間が迫っていた。
「……さて、今日は何をしようかな」
「考える必要もないくらい、色々と溜まっているでしょ」
「(意味深)」
「そんなんだからXXなんだよ」
「あ!それは言っちゃいけないことなんだよ!音声作品の中でしか許されないことなんだよ!女と女のドロドロとしたやりとりや、ショタを襲うサキュバスそれに準ずる強大な存在の一方的なほげほげをやっていきたいと思っているにも関わらず今一歩踏み込めないのはXXであることがある種の心理的障壁になっているというか人間そんな簡単に文章だけを愛することは出来ないといいますかやはり作者の背景をみてしまうわけじゃないですかそもそも……」
「きもちわるーい」
 苦笑いを浮かべるお姉ちゃんの姿が少しずつ薄れていく。
 社会が動き出すと本能的に余計なことが溢れ出してくる。これら外的要因の雑念は妄想の敵であり、それでいてもっとも強力な、呪いにも近い制限なのだ。
 ボクはイマジナリー・お姉ちゃんと会いたいから、外的要因の雑念が少ないこの時間に歩いているのだ。
「じゃあ、またね。……頑張ってね」
 お姉ちゃんはそう言うと、白い息に交じるように消えていった。
「頑張ってね」というのは、ボクが雑念に埋め尽くされてしまわないように頑張ってね、ということだろう。頑張るほどのことかはわからないけど、雑念に埋め尽くされるのはお姉ちゃんと二度と会えなくなるのと同義であり、それは嫌だった。
 わかってる。
 ビニール袋を持っていない方の手を、ポケットに格納。
 オーディオプレーヤーを起動し、音楽を再生。
 視点は真正面ではなく、少し斜めに向ける。
 お姉ちゃんを受け入れるために、受け入れないものを選んでいく。多少社会で生きにくくなるくらい何の問題もない。
 ビニール袋の中にはよりどり3本セールということで購入した、ストロングゼロが3本あった。1本はお姉ちゃんのためにとっておこう、そう思った。
 しばらくしてプレイリストから『歩行速度』を選択する。歩行速度と狂いなく一致したBPMの曲が流れ始めると、意識が自然と曲に向けられ、淡々と歩く機械になった。
 そして曲が終わり自宅に到着する頃には、太陽が世界に顔を出していた。