Something covered something.

今日はAにとって可もなく不可もない日だったが、やっぱり深夜0時に眠剤は飲んで、すでに10分が経過した。

Aはその間、ずっとはベッドで仰向けになりながら天井を眺めたり目を閉じたりしていた。

毎晩飽きることなくやってきてはAを引き込もうする過去のハイライト集(映像付き)も、今晩は大したことなかった。

そうしているうちに関節を起点に、少しずつ全身へ次第に広がる人工的な倦怠感がやってくる。直径8mmにも満たない錠剤の、実に手際のよいエスコートにゆるりと身を委ねようとしたとき、Aの部屋のドアを叩く鈍い音が聞こえた。

「生きてるー? ねえ、生きてるー?」

この声は、彼女の一個上の部屋に住むBで間違いない。

声よりもむしろ、深夜Aの部屋にこういうことをする人間はBしかいないという前科が、判定要素の大半を占めていた。

社会人のAに対してBは大学生。年は4つ離れていたが、お互い田舎を離れて一人暮らしをしているという共通点や、何よりお互いコミュニケーションに飢えていたこともあって、さして障壁にならなかった。親交は加速度的に深まっていった。

「あれ……これやばいかも。救急車よぼうかー?」

ドアのそばの呼び鈴には目もくれず、Bの発する音は増すばかりだった。ドアを叩くというよりは殴っているのではないか。

生存確認という掛け声のカテゴリも非常に質が悪い。このままでは単に騒音で近隣の迷惑になるどころか、Aに異常者のレッテルを貼られかれない。

ひとまずBを止めなければと、Aは慌ててベッドから身を起こす。

しかし地面についた両足に力をこめると、意図しない方向によろめいて尻もちをついてしまう。

こうしている間にも眠剤はゆっくりと全身に溶け出しており、Aの意識を奪おうとしているのだ。

Aはドアまで行くことを断念して、かわりにドアに向かって叫んだ。

「合鍵!この前渡したでしょ!」

ドアを叩く音が止まってから数分後、Bが入室した。片手に酒缶が何本か入ったビニール袋を携えていた。

「それにしてもB、いきなりどうしたのよ。……うわ、酒くさ」

Aは思わず顔をしかめた。Aは付き合いであっても最初の一杯で限界になる程度には、酒に強くない。連休の初日には、今日のように酒を携えたBに潰されることも多かった。

「いや、ちょっと死にたくなってたから、Aちゃんに会いたくなって。Aちゃん、もう飲んじゃった?」

「飲んじゃった」

BはAが眠剤を常用していることを知ってから、メンヘラワードを気軽に言うようになった。それがAへの配慮からくるものなのか、Bの本心からのものなのかはわからなかったが、 少なくともAにとっては、Bとのやり取りがより心地よいものになっていた。

「じゃあ、こっちも飲ませないとね」

Bはビニール袋の中からAの好きなチューハイを取り出し、空けた状態で手渡す。

やっぱりか、Aは思う。心地よさが急速に冷めていく。

「今日は飲まないわよ、飲んだばかりなんだから」

眠剤とアルコールの取り合わせは非常に悪く、同時に摂取すると酔いと倦怠感と眠気の症状が増幅された症状が現れる。悪いことが重なりどん底な時期に、自暴自棄になりなが同時に摂取したことがある。気づいたときには部屋中のモノが、特にお気に入りのモノだけを残して滅茶苦茶に荒らされていた。このときAは、自身の奥に眠る暴力性に恐怖し、二度とやるまいと思っていた。

「そんなこといわずに。ほら、明日も明後日も休みでしょ? 今日と合わせて3連休。絶好の飲酒日和だと思わない?」

「飲まない。あと10分遅かったね。」

Bは、チューハイを差し出す手を降ろさないまま、もどかしそうな表情を浮かべた。

「ううん、遅くないよ。むしろこの10分間が最高のタイミングなんだ。Aちゃん、本当に覚えてないんだね」

突然トーンダウンしたBの言葉に驚いたAはその意味を考えこんでしまった。Bには既に、アルコールと眠剤を同時に摂取したときのエピソードも話している。悲惨だったことも。私がとても後悔したことも。それなのに、なぜ勧めようと――。

隙を見つけたとばかりに、Bは「うへへー」と笑いながら、チューハイをAの口に当てる。

流し込まれたチューハイが、Aの舌をつたって喉に流れ込んでいく。甘味料のあからさまなレモンの香りが鼻を通り、次第に粗悪なアルコールの苦味で舌が塗りつぶされる。すぐにBを腕で払い口を離したが、Aの体内には十分なアルコールが流れ込んだだろう。

「やめなさいよ。以前、お酒と眠剤を同時に飲んでどうなったかは話したでしょ?」

Bの無遠慮な行為に怒りを感じたAは、鋭い目でBを問い詰めた。そんなAの目を臆することなく見つめながら、Bは答えた。

「知ってるよ。実は、話される前から。あのときね、Aちゃんが一人でお酒と眠剤を同時に摂取した日。わたし、途中からAちゃんの部屋にいたの。本当に、すごく、すごく嫌なことがあってね、お酒でも飲んで気を紛らわせたいなって思って。そしたら、ものすごい勢いで机の上のものを薙ぎ払ったり、紐や棒を地面に仕切りに打ち付けているAちゃんがいた。あんなに怖いAちゃん、みたことなかった。人くらい平然と殺せそうな目だったよ。でも何故か私はそんなAちゃんから目が逸らせなかったの」

Aは、Bから目をそらせなかった。Bがあのときその場に居合わせていた事実に驚いたのもあったが、なにより今、Aを見つめるBの視線そのものに釘付けにされていた。Bの目は潤んでいた。

「あのあとAちゃんはね、私をみつけたの。ああ、殺されるのかなって。そう思った。でも私一歩も動けなかった。恐怖で動けなくなったというよりは、受け入れちゃった。でも私は今ここにいる。つまり、Aちゃんは私を殺さなかった。壊していたモノを優しく地面に置いてから私の肩に手を載せて、さっき置いたモノの何倍も優しく、私をベッドに押し倒したの。そのときのAちゃんの表情は、モノを壊していたときのそれとは真逆の、本当に優しい顔でとても綺麗だった。それから、Aちゃんはまたモノを壊し始めた。ベッドの上にもモノが沢山置いてあった。あのあとAちゃんから、大事なものだけ先にベッドに避難させていたことを聞いてすごく嬉しかった。わたしね、それから死にたくなったときはいつも、あのときのことを思い出していたの」

「……それで、今も死にたくなってるから、私に同じことをしてもらおうとしてるの?」

「……そう」

あまりにも歪んだ慰めの形式だ、とAは思った。しかし、自身の中でトラウマとなっていた記憶がBにとっては救いともいえる出来事になっている。この事実は動かしようがない。Aは今、自分の善悪の基準が非常に曖昧になっていることを自覚した上で、切り出した。

「今度はどうなるかわからないよ」

「どうなっても、いいよ」

Aは大きく深呼吸をしてから立ち上がると、ふらついた足取りで救急箱のある棚に向かった。身体は重く、今すぐにでも意識を失いそうだった。数回の試行で救急箱をあけることに成功し、眠剤をもう一錠手に取ると、手元の酒で飲み下した。

「逆に、Bちゃんを殺しちゃうかもしれないね。可愛さ余って憎さ百倍ってやつ」

「それ、微妙に違うと思う」

「今の私に、細かいやり取りができると思わないで」

数分後、Aは頭の中が濃い靄で覆われたかのような感覚に陥った。自身の脳内であるにもかかわらず、思考が濃い靄のせいで迷子になってしまい頭が働かない。理性をほとんど失いつつあったAは、直前の光景だけでもしっかり記憶するために、部屋を見渡し、最後にBに視線を向けた。 Bの表情は陶然という言葉がぴったりで、いかにあの出来事がBにとってどれだけ大きいものだったのかを物語っていた。あのとき、BにとってはAはヒロインだったのだ。そして、Bはヒロインの再来を求めている。

あれ、私は? Aちゃんは私だけど、アルコール眠剤女は私なの……?

迷子になった思考がランダムに、脳を駆け巡る。降って湧いたような問いに、なぜか笑いがとまらなかった。

ひとしきり笑ったあと、AはBに向かってゆっくりと歩き出した。Bは、Aを見つめながらただじっと待っている。

Bは、とっくに動けなかった。Aの部屋に入ったときから、既にアルコールだけでなく錠薬を摂取していたのだ。Bの部屋に転がる錠薬のことを、Aは知らない。Bの胸にちくりとした痛みが、走ったような気がした。

しかしAに扮したアルコール眠剤女の箍の外れた表情を見た瞬間には、Bに扮したアルコール眠剤女も全てを忘れ蕩けきった表情を浮かべていた。