着火剤

「ごめん、まった?」
「ううん、そんなに」
 Bが待ち合わせ場所について30分、待ち合わせの予定時刻からはすでに15分ほど経過していた。それでも遅れてやってきたAをみて文句など言えるはずがない。
 自慢の金髪は完璧にセットされており、彼女の好みだという赤を基調としたコーデイネートもばっちりと決まっていて、100人が100人、彼女の姿を見たら本命のデートに向かう最中だと答えるであろう。彼女を待った大抵の人間は、この時点で遅れてきたことよりも私との約束のためにここまで準備をしてきたのかという事実に感動を覚え、怒るどころか、まずどこを褒めようかという思考に切り替わってしまうほどだった。たとえ野暮用であっても、時間に遅れるとしても、自身の納得行くまで格好を整えてからではないと表にはでない。これがAの主義であり、そういう態度で今まで多くの人間の心を掴んできたタイプの人間だった。
 適当に喫茶店に入り、共にアイスコーヒーを注文する。チェーン店でメニューにこだわる必要はないというもの、彼女の持論だ。Bはそんなこだわりどころか、普通のふるまいもしらないので、とりあえず彼女を真似て注文を行う。
 Aは、アイスコーヒーのストローをくるくる回しながらさっそく一方的に話し始めた。おそらくサークルを辞めていった男のことだろう。Aはその男と付き合っていて、Aからフる形で関係を終わらせて、その直後に彼はサークルを辞めていった。
「わたしからいわせると、常に将来を見据えた感じが気に食わなかったのよね。自身が堅実な存在であることをアピールするのに終始してた。席の着順とかドアを開けたりとか、わかりやすいところだけ仰々しく気を利かせて、肝心の会話が面白くない。今を楽しくしてくれるわけじゃなかったのよね」
 Aは育ちと容姿の良さもあって、いいよってくる男は後を絶たない。Aに絡んでくる男はたいていエリートコースを歩んでおり自信満々なのだが、デート中であっても不満を隠さず、自身に甘えてくることもないAの態度に徐々に自尊心が削られていき、最終的に根をあげた男がフるか、疎遠になってからAが新しい相手を作ってフって終わるというのがお決まりの展開で、今回も例に漏れない。
 男と親しかった友人が励ましを兼ねて飲みに行った際、男は「フッてくれてたときホッとしたのは初めてだった。女付き合いが怖くなっちまったよ」と酒が運ばれてくるたびに口にしていたそうだ。
「なんていうか、私にいいよってくるならまずは一方的な態度をやめてほしいわ。相手が計画か即興かも知りたくないような寒い演出を伴った行動を起こす、私が喜ぶか不満をみせる、の繰り返しばかり。私の好感度が高くなったと思いこんで、すぐにホテルチャンス開始。恋愛ゲームならポイントを稼げる行動なのかもしれないけど、これはゲームじゃないんだから。って、あー……ごめんね。辛気臭い話はやめよっか」
 Aはアイスコーヒーを啜ると、ため息をついて、話を切り上げた。そして、さっきからずっとニコニコしながらAの話を聞いている相手に、話題を預けた。
「Bは最近なんかあった?」
「さっぱり。今日、Aさんと喫茶店に来たのが久しぶりの社会的活動、かな」
 話を振られたBは、アイスコーヒーから口を離して、照れ笑いのような表情をしながら答えた。Bの顔には守ってあげたくなるような愛嬌がある。
 AとBは中高の同級生で、AがBを誘う形で二人で喫茶店で話をすることがある間柄だった。中学のとき、Bにつきまとっていた男との関係を断ち切ってあげたことがきっかけだった。その後、Bがやたらとなついてきた。Aに助けられたときの、涙で目を潤ませながら上目遣いでBが言い放った「Aさん、とってもかっこいいです」が殺し文句となり、AはAで、同性には目の敵にされやすい性格だったため同性として初めて懐いてきたBのことがどんどん気にかかっていった。以来、AとBは仲の良いの友人として関係を続けていた。さん付けなのはBの希望だった。
 Bは非常に内向的な性格で、大学こそAと同じだがサークルにも所属せず、講義室ではいつも隅に座っている。入学直後には活発なAと交友をもっていることを知られ、Aの周辺の人物からもたびたび勧誘があったが、1ヶ月後には脈なしとして、すっかり一人になっていた。だがAのように一度懐いた相手にだけ見せる控えめな笑顔や流し目は庇護欲をそそり、Bの家族はBのことをとても良く可愛がっているという。
「そっか。もう少し外に出たほうがいいんじゃないかなっていうのは、おせっかいか」
「一人で外に出ることはあるけど、誰かと関わるとなると、Aさんが誘ってくれるときだけですね。それは、高校時代から変わってないです。……そういえば、なんでAさんはこうして私を誘ってくれるんですか? Aさんなら他にいくらでも予定を作れるはずじゃないですか」
 Bはおずおずと、語尾にゆくにつれて声量を小さくしながら尋ねた。
 私はBのこうした質問があまり得意ではなかった。文章からにじみ出る自己評価の低さはフェイクで、Aが決して自身を否定しないという確信がこめられているのだ。不安そうな口ぶりも、無意識に行っているものだ。Bとは中学の頃からの付き合いだからもう7年になる。もう少し、友人らしく、男と付き合うときのように直線的に言ってあげるのもいいかなと思ったときもあったが、いざ相対すると彼女の子犬のような視線に負け、やはり決して傷つけてはなるまいと、彼女の火薬をつみあげたような繊細な精神構造を崩してはなるまいと、本音の中から特に甘い部分を掬い取って慎重に言葉を選んでしまうのであった。
「私は彼には刺激を求めるけど、友達には平穏を求めてるの」
「じゃあ、私はAさんに平穏を与えてるってこと?」
「……そういうこと」
 Bの両頬がほのかに赤く染まったのを見て見ぬふりして、Aはトイレに向かう。
 友達で、満足なのか。
 Aは化粧を直しながら、Bとの先ほどのやりとりを考えていた。
 Bが私に対して好意を、友人関係以上の好意を持っていることはとっくの昔に気づいている。にもかかわらず、そんなBに対して、私は言い寄ってきた男と付き合うようになり、恋愛遍歴を聞かせている。それをニコニコと聞き流し、友達としての関係に甘んじている彼女の腹の底が正直読めない。
 幾度となく男と付き合っては肌を重ねてきたAの経験上、彼らはすぐに私に対して何からのアプローチを仕掛けてきたものだ。共通の友人を経由して連絡先を手に入れたり、外堀をうめ一対一になるように仕向けたり。「あとで焼き肉奢りな!」というメッセージが私のアカウントに届いたときは思わず笑ってしまったが、その男とはそれがきっかけに付き合うことになったりもした。煩わしいことも多かったが、わかりやすくはあった。
 Bに関しても、この状態が続くのであれば「好きです、抱きしめて欲しいです」と濡れた目で迫ってくれたほうがよっぽどありがたい。Aも、迫られて断ることはないだろうなとぼんやり自覚していた。
 彼女の内面には、すでに爆発寸前の大量の火薬が詰め込まれている。彼女の理性が強いのか、私を信頼しきっているのか、これまで仕草として表出したことはない。だがほうっておくと大変なことになるに違いない。私がBを助けたあのとき、Bのカバンの中に包丁が入っていたことは今でも覚えている。今みたいに、定期的に喫茶店で話しているだけではいずれ爆発するかもしれない。彼女が火薬なら、自身が炎になって、安全な場所で起爆させなければ。
 だが、その覚悟は自分にあるのだろうか。そんな消極的な関係でいいのだろうか。それで彼女に眠る莫大な火薬全てに火をつけることは可能なのか。受け止め傷つく覚悟はあるのか。そう思うと、今までどおりの無難な関係に終始してしまうのだ。
 Aが席に戻ると、彼女の頬の色はいつもの白さを取り戻していた。
 その後、当たり障りのない会話をして二人は別れた。

 きっかけは意外なことに、それからすぐの、秋の夜であった。
 サークルの飲み会で酔いつぶれたAと、書店で買い物をしていたBがたまたま遭遇したのだ。
 Bを見つけたAは朦朧としながら、Bの身体にもたれかかり、それをみたサークルのメンバーは厄介事はゴメンだとばかりにBにAをたくしてしまった。Aを放っておくわけにもいかず、Bはすぐにタクシーを呼んで、Aを自身の家に連れ込むことにしたのだった。
 自宅についてからBは、酒と煙草と喧騒の染み付いたAの身体を、お湯を染み込ませた絶妙に温かいタオルで丁寧に拭いていった。酒を飲まないBは、飲酒後に暑いシャワーを浴びるのはよくないという知識をネットで仕入れたのだろう。駄々をこねるAの服を辛抱強く脱がせ、全身が露わになるたびに頬を染め、目を逸し、秘部が視界に入れば目をギュッと瞑っていた。彼女の身体を撫でるタオルはどこまでも優しく、Aに対する尊敬と好意がにじみ出ていた。
 ああ、どうしてそんな必死に自分を律しようとしているのか。彼女はこの状況でも、自分から手を出すことは出来ないんだな。そうやって押し潰されて限界になってしまうんだな。
 Aは、そんなBの介抱のいじらしさをみてたまらなくなり、Bを押し倒す。
「Bちゃん、なんてかわいいの……」
 Aは両手でBの頬を撫でながら囁く。Bは頬を真っ赤に染めて、小さい体をさらに丸めながら、絞り出すように声を出した。
「Aさん、わたし、Aさんからみて、かわいいんですか……?」
「うん……とってもかわいい……Bちゃん、抱いていいかな……」
 Bはその言葉をきくと、夢の中にいるような、とろけきった表情を浮かべた。 「Aさん、とてもかっこいいです。今日だって朦朧としているときも、私が肩を貸しても一人で歩けるぞって、私より大きな歩幅で歩こうとするところとか、ほんとうにもう、かっこよくて……」
 それ以上は待てなかった。言葉を続けようとするBの口を強引に塞いだ。彼女は目を閉じてAを受け入れた。何をまごつく必要があったのだろう。Bは7年もの間、ずっと私を待っていたのだ。ずっと私に好意を抱いていたのだ。男を引っ変えとっかえしては喫茶店で不平不満ばかり口にするような女を、格好いいと思い続けてくれたのだ。それに応えずして、なにが「格好いい」だ。何が火薬だ、炎だ、消極的な関係だ。どの口がそれを言うか。
 Aは女性とのセックスはしたことがなかった。が、過去の男にされたことを思い出しながらするのはすぐにやめた。それは格好良くないだろうと思った。そうでなくても、AがBの性感帯に触れるたび、内面に溜め込まれた火薬が勝手に着火しては爆発し、嬌声となって現れていたからだ。
 彼女の中の火薬は爆発するたびに、ベッドのきしみになり、シーツの乱れになり、飛び散る汗になり、身体のぶつかりあう音になり、首筋のキスマークになった。Aが眠気に負けそうになるたびに、Bが「足りないよう」と耳元でねだるように囁いた。そのたびにAの脳天から足先に火が灯る。それは、一瞬で炸裂して消えてしまう火薬にしてしまうのは惜しいものだった。
「ああ……Bちゃん……ちょっと眠らせて……」
「Aさん……やっぱりかっこいいです……わかりました、目が覚めたら、また続きをはじめましょう」
 体力の限界を迎えたAの頭を撫でながら、Bは子守唄の代わりに、Aの好きなバラードを口ずさんだ。
 おいおい、その歌詞は、結構重いぞ……。
 薄れゆく意識のなか、Aは心の中にごうごうと、これまで経験したことのない大きな炎が上がっていくのを感じていた。